言靈・音靈で心身を整える

こころ・感情・からだ
こんにちは こころと身体のセラピストゆうです(*^-^*)
日頃お客様のお身体と向き合っている セラピスト・エステティシャン の皆さんにお役に立つ情報をお届けしてまいります。
ここでは、言靈(ことだま)・音靈(おとだま)をテーマにお伝えしてまいります。

言靈(ことだま)・音靈(おとだま)とは

“ ことだま ” を調べると、

・古代日本で、言葉に宿っていると信じられていた不思議な力

・発した言葉通りの結果を表す力

があるとされていました。

 

日本は言靈の幸はふ国

『言靈の幸(さき)はう国』というのを聞いたことはありませんか?

これは万葉集にも記されている詩で、その意味は “言葉の靈力が幸福をもたらす国” で、日本のことなのです。

私たち日本人にとっては馴染み深い五十音は、母音+父音=子音の濁った響きのない清音で成り立っています。

 

日本語の1音1音には神様が宿っている

古神道である伯家神道の秘儀継承者である七沢賢治先生監修、大野靖志さん著の『言靈はこうして実現する』には、

“ 現在の五十音の並びはサンスクリット語の音韻学に由来するといわれるが、日本語のツールそのものは1万年以上前にさかのぼることができるという。

母音がきれいに分けられているのが古代から伝わる言語の特徴です。

日本語のようにはっきりとした母音を持っている言語ー、古代ポリネシア語、レプチャー語などは、1万年を超えて今なお原型をとどめる数少ない言語だといえるでしょう。 ”

とあります。

そして、日本語の1音1音には神様の力が宿っているとされていて、古来の日本では言葉の力を活用していたことなども、古文書である『ホツマツタヱ』にも記されています。

 

『言』・『音』のなりたち

ここでは『言靈』・『音靈』について、1文字ずつ見てゆくことにします。

 

『言 』の意味するもの

『言』は、意味のある漢字を2つ以上組み合わせると別の意味となる会意文字で “辛”+“口” となり、“取っ手のある刃物”の象形と“口”の象形で、悪いことをした時は罪に服するという『ちかい・ことば』を意味し『言』という漢字が成り立ったのだそうです。

意味としては “事” と同語源として扱われ、

・ 口に出して言うこと・言葉

・言葉で表現された事柄・内容

・うわさ・評判

とあります。

 

『音』の意味するもの

『音』の元は『言』の“口”の中に“一”が組み合わさったもので、口から出た声の意味から、口は神に祈る言葉を入れる器で神のお告げを表すという説もあるようです。

音 = 響き

音が一秒間に何回振動しているかを表現したものを “周波数(Hz)” といいます。

『音靈(おとだま)』とは、言葉の持つ音、ことばそのものであり、音に宿る “靈” のことです。

唱えることにより音に波動が生まれてゆき、音に靈が宿り『音靈』になるのです。

 

『靈』のなりたち

『靈』というと、なんだか幽靈などおどろおどろしいイメージが浮かんできてしまうかもしれませんが、それは完全に刷り込みです。。

大和言葉(やまとことば)で『靈(ヒ)』は、この世の全ての源であり、人知でははかり知れない力や出来事を意味します。

 

『靈』の意味するもの

『靈』とは、よい・すぐれた・たま・たましいなどの意味があます。

この『靈』は “霝” + “巫” で成り立っていて、“霝” は『雲から雨がしたたり落ちる』象形です。

“口” の象形に『神を祭るとばり(区切り)の中で人が両手で祭具をささげる』という象形から、祈りの言葉をならべて雨乞いをする巫女さんを意味し、そこから『神のこころ』・『巫女』を意味する『靈』という漢字が成り立ったということです。

 

『靈』の種類

『靈』には、言靈(ことだま)・数靈(かずたま)・型靈(かただま)、音靈(おとだま)・色靈(いろたま)などがあります。

・言靈は言葉に宿るエネルギー

・音靈は音に宿るエネルギー

・形霊・型靈は文字の形が持つエネルギー

・色靈は色に宿るエネルギー

であり、特に日本文化の『道』のつく世界で大切にされているお作法というのは、こういった古くから大切にされていた『靈』の力を生かしたものなのではないかなと感じています。

 

 

なぜ言葉には力があるのか

“なぜ言葉には力があるのか”という説明にふさわしい内容が、少し前に読んだ『とほかみえみため~神につながる究極のことだま』に、分かりやすい説明があったので抜粋して紹介させていただきます。

 

言葉が発生される背景には、その言葉を発生しようという意思が存在ます。

つまり、いきなり口から言葉が出てくるわけではなく、まずある種の意図があり、発声の意志があり、それが音になって出てくるというわけです。

この辺りは当たり前すぎて、普通は素通りされてしまうプロセスです。

けれども、そうした当たり前の中にこそ心理があることを見逃してはいけません。耳に聞こえる言葉には、音として具現化する前の多様なプロセスが潜んでいます。

とりわけここでお伝えしたいことは、言葉には音になる直前の姿があるということです。

では、音になる前の言葉の姿とは何でしょうか。

言靈学(げんれいがく)の世界では、その『音になる直前の言葉の姿を』『ことだま』と呼ぶのです。

ですから、言葉に氣をつけるとは、言葉の前に存在する『ことだま』に氣をつけることを意味します。

よって、『ことだま』に氣をつけると、言葉の使い方も、言葉がもたらす現象も、後悔のないものになるということになります。

とほかみえみため~神につながる究極のことだま~ 大野靖志著より抜粋

 

最後に

私はこの言靈や音靈の持つ力をセッションにも利用しているのですが、カタカムナ文字やヲシテ文字などの古代文字を、治療に積極的に取り入れられているお医者様や治療家の先生が本を出版されていますので、少しずつ一般的になってきているのを感じます。
ヨハネの福音書にも
『 初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。
  この方は、初めに神とともにおられた。
  すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。
  この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。
  光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。 』
とあります。
私たちが普段、何氣なく使っている文字や言葉がもつ力というものを、改めて見直し活用される方がこれからもっと増えてゆくことを願っています。

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