こんばんは こころと身体のセラピストゆうです。
今日お伝えするテーマは 「教育」 についてです。
世間はコロナの情報に翻弄されているように感じていますが、コロナ以上に問題なんじゃないかなと思うのが “自殺者数” です。
皆さんは毎年、二万人以上の方が自らいのちを絶たれているというのをご存知でしょうか。
実際はこの数以上にいるとも言われています。
そして、氣がかりなのが20代、更に問題なのが10歳代の子どもたちの自殺者数や、残虐な事件が増えているということです。
子どもたちがさまざまな “いのち” そして “死” について感じ・考える機会が必要なのではと思うのです。
そして、まず大人の私たちがそのような姿を示してゆくことが重要なのではないかと感じています。
今回は再読していた私にとってバイブルの中の1冊「黎明」より、これまでの当たり前が当たり前でなくなってきているこのタイミングに必要と感じた一説を紹介します。
大人の古い価値基準に制約される子どもたちの意識
過渡的な状況で一番困難が生じるのは、意識がある程度まで進化してはいるものの、普遍意識の完全な顕現にまで至っていない子どもたちの場合です。
自我意識に捉われている大人の多くは、自分の視野が制約されていることには氣づかずに、学歴や地位、収入と財産、家柄や結婚というような間違った価値観を造り出し、子どもをそれに従わせることが教育であると錯覚しています。
前にも触れましたが、敏感な子どもは大人の教えるどんな価値観でさえも、真の幸福には結びつかないことを観抜いていますし、混乱した世の中に調和をもたらすこともできないことを̪識っています。
子どもたちが感じている行き場のないストレスの向かう先
しかしながら、大人と子どもという圧倒的な力関係の中では、自分の感じているものを大人に理解させることの困難さも充分に承知していますし、
それに代わる確かな価値を自分で示すことも出来ずにいますから、為す術もなく様々なストレスを抱え込むことになり、
このストレスが暴力やいじめ、生活に対する無氣力や人間関係の希薄化といった、愛の欠如した現象として現れてくるわけです。
無知な大人が子どもたちを管理しようとして考えだ出した、不合理な規則が数多くある地域に、さまざまな子どもたちの不調和な表現が生じてくるようになるのは、こうした理由があるからです。
私たち大人が理解し考えなくてはならないこと
このような現象が起こるのは、私達の生活している環境や、ものの考え方がいかに不自然であり、間違った方向に進んでいるのかと言うことを、私達大人に氣付かせるためなのであって、
子どもたちが我慢し、克服すれば良いというような単純な問題ではないことを、正しく理解する必要があります。
このような問題を解決していくには、私達の多くがこれまでに正しいと思ってきた一切の価値観、ひとりひとりの心の中に意識的、無意識的につくられている、様々な制約や固定観念を完全に手放さなければなりません。
大人が出来る決定的に重要なこと
『 喜びを伴った真実の表現を妨げないようにする 』
ただそれだけが決定的に重要なことなのです。
大人が自分は不調和の真っ只中にいて、自分自身の人生さえ謳歌していないのに、子どもに対してこうしなければならない、ああしなければならないとか説教したところで、
その人のいうことが真実ではないことは即座に判ってしまいますから、他の全ての場合と同じ様に、まず大人自身が愛によって生きることが必要です。
子どもに内在する神性を信頼する
そして子どものひとつひとつの行為を否定的に見るのではなく、子どもに内在する神性(普遍意識)の展開を絶対的に信頼して観守っていくことが何よりも大切です。
例えば保育園でお遊戯をしようというときに、ひとりだけ皆と一緒にやらない子どもがいたとします。このようなとき教師はどのように対応するでしょうか。
もしこの子どもに対して、皆と一緒にお遊戯をさせるように仕向けるのが教育だと考えているのでしたら、その方は速やかに退職して頂くのが世の中のためです。
子どもがお遊戯をしない理由は色々ありますが、本人が心の底からそのようにしたいという氣持ちが起きないのに、優しく宥めたり、厳しく叱ったりして、皆と同じことをするように強要すれば(本来の意味で)余程素直な子どもでない限りは、自分を偽って周囲の状況に合わせることを覚えてしまいます。
これでは、世渡りは上手くなっても、真の生き方からは遠ざけてしまうことになるのです。
自分の本当の意思が表現できないと
そして周囲からよく評価されることを、自分の本当の意思に優先させることを続けていると、次第に自分の本当の意思が判らなくなり、その人の地上における役割を果たすことができなくなってしまいます。
同時に潜在意識の中では、自分の本当の意思が表現できないままでいるわけですから、これは色々なストレスとなって目に見える部分に現れてくるようになります。
このような育ち方をした子どもが一九九〇年代には大人になって、色々な問題を起こしている状況がちゃんとみえているのですから、わたしたちが何を為すべきかは明白なのではないでしょうか。
『 教育 』とは
教育は、子どもたちが人生上で出逢う様々な問題を、自分自身で解決していくことができるようになるための、手助けをするものでなくてはなりません。
そのためには、物質レベルの知識の伝達だけではなく、精神的、靈的法則と、その応用方法について教えなければなりませんし、
それが単なる知識に留まることなく、あらゆる状況において内在の智慧を発動できるようになるための、訓練を伴っているべきです。
『 黎明 下巻 』 葦原瑞穂著 より抜粋。
・・・・・・・・・・・・・・
コメント