おはようございます。 こころと身体のセラピストゆうです(*^-^*)
これまでの数百年~数千年という長きにわたる間、私たち人間は知花先生の言う『偽我意識』で生きてきたのだろうと思います。
特にここ1・2年、私自身も何のために生まれたのか~ということを色々と自分なりに考え模索しているのですが、その答えの1つに下記にある『生命は神であり、生命は意識であり~』というところを思い出すことなのかなと感じています。
『 意識 』 とっても奥が深いテーマです。
表面意識は偽我(ぎが)=自我=迷い人間
神意識だとか、普遍意識だとか、意識には色々な呼び名があります。
今、自分が何を意識しているかによって、これであなたが決まります。
外側だけを意識して生きている人は、表面という、目に見えるものだけを意識しているのです。このことを表面意識と言います。
だから、その人たちは、真の自分を、真の我を忘れているのです。
表面意識は偽我です。自我です。その人たちは迷い人間です。
神意識とは
それでは『神意識』と名は何を意味するのでしょうか。
生命は神であり、意識は神であると言いますが、その神意識とは、一体何を意味するのかということです。
その神意識とは、自分が神であるということ、即ち、生命は神であり、生命は意識であり、その意識が神ですから、神意識とは『自分が神であることを意識している人のこと』をいうのです。
即ち“我は生命なり”と、“我は御靈なり”と、その本源を意識している人のことをいうのです。
だから、あなた方が『我は生命なり』というように、今、現実に、あなたの中に留まって、そこに生きている生命が自分の主であり、それが全ての本源であり、即、生命は神ですから『我は神なり』という、強い意識の状態のことを神意識というのです。
意識は全ての創造の力
意識は全てのものを造ります。
意識は全ての創造の力だからです。
だから、あなた方は、自分が意識した状態のものにしかなれないのです。
自分が神であると意識すれば・・・、そのあたなに、どのようなことが起きるのでしょうか。
それは、あなたの意識が何処に向いているかで決まるのです。
それを『内在意識』とも言います。
即ち、内なる意識、本源、本物の意識、その本物を観(み)つめる意識です。それによって、あなた方の現れ方が決まります。
外側を意識していて、内なるものが現れようがありません。
外側の三次元的な、五感的な、その表面意識に生きている人に、どうして内なるものが現れましょうか。
意識は創造の力ですから、表面意識は外なるものしか引き寄せません。
内なる本源を意識すると
あなた方は内観、即ち、内を観るという、その意識を内に向けて、内なる本源を多く意識することによって、その本源なるものが、あなたご自身を通して外に現れるようになります。
『 外なるものは内なるもののようになり、内なるものは外なるもののようにならなければならない 』と言われた、イエス様の言葉の意味がそこにあるのではないでしょうか。
あなた方は『 私は肉体でもなく物質でもないのだ 』とー。
その肉体を現しているもの、その物質の内なるものを、その背後にあるものを意識する。それを内在意識と言い、神意識というのです。
そのことは、本物を意識するということです。
その本源を意識するということが、生命の意識、御靈の意識なのです。
『外を見るな、内を観よ』
『外を見るな、内を観よ』というお釈迦様の言葉があります。
そのように、あなた方が内観をするとします。
自分の内を観つめて、その自分の本源を観つめて、“自分と神とは一体である”というように意識してゆきますと、その意識が、あなたが意識した通りのものが、外に顕現されてくるようになるのです。
内なる本源を知らないで、それを意識もしないで、表面だけに生きている人には、内なるものは現れようがありません。
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愛と光のみちしるべ
『 意識とは何か 』
知花俊彦 講和特集より抜粋
最後に
最後に、小説家のエイミ・タンさんが 『 創造性について 』TEDで
『 どのように私たちは創造するのかという 何らかの考えに行き当たると信じています。 自分の役割について、考えなくてはいけません。
私は宇宙の中のどこにいるのか、 誰かが今ある私を意図したのか、それとも自分で思いついたものなのか? それも、心ゆくまで想像し、想像したものになることで見つけられると思います。 』
と語っていましたが想像するものが創造されるというのを分かっていらっしゃるのだろうなといお話しでしたので紹介させていただきます。
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